Hiding
to a comeback
敗北。まさにその一言だった。
草壁は投降し、ほとんどの仲間も逮捕された。
僅かばかりの配下を引き連れ、火星宙域から離脱した南雲は、木星の衛星、かつて木蓮時代の仮住まいに逃げ込んでいた。
しかし、ここも安全ではない。じき宇宙軍の追っ手が迫るだろう。かといって逃げる場所などない。
まさか土星まで行くわけにも行くまい。二匹目のドジョウが土星にあるかもしれない・・・そんな夢想を抱くほど、おろかでもなかった。
現状では宇宙空間をさまようしかない―――それが、南雲たちの結論だった。それも補給は不可能。海賊まがいの略奪でもするしかない。
「ふ・・・ばかな。そんなまねが出来るはずがない。そんな者に理念を貫く資格などない。」
「・・・。」
南雲の呟きに直属の部下で最も寵愛を受けているシシオはしかし黙ったまま作業を進める。
とにかく今は一刻も早く旗艦“かんなづき”を起動し、軍の手を逃れるのが先決であったからだ。
出港に備え、準備を進める“かんなづき”。そのブリッジでは、艦長席に座る南雲と、調整を続ける南雲直属の配下がいた。
木蓮優人部隊出身の者達ばかりである。一応の知識はあるが、しかし全員が専門外の分野のために作業は難航した。
突然のボソンアウト反応。光に包まれた中から現れたのは闇そのものの男だった。全身血だらけで、まさに瀕死の状態だが、その常軌を逸した目つきに宿る狂気が、この男を支えているのだろう。
北辰―――。その人であった。
「くく・・・・・・・本当に人間の執念と言うものは・・・すばらしい。見誤っていた。・・・・それは・・・認めよう。」
「・・・・・・。」
自分自身に語りかけるようなその言葉からも、どこかこの男は虚ろだった。
もはや息も絶え絶えのこの男は、しかし狂気の笑みを絶やさない。深く避けたその口からこぼれる笑みは、それだけで相手を威圧する。
ブリッジの面々はその威圧にたじろいでいた。しかし、南雲は微動だにしない。ただ北辰を見据えた。
「・・・だからこそ・・・・・今・・・・・・・・・一度、今度は私が・・・・見せてやろ・・・う。」
「・・・・・・。」
ぎりっ。
歯軋りする音。必死に精神が肉体を支えている。しかし、この男の執念の源は決して南雲とは相容れぬものであった。
「・・・さあ、南雲よ!早・・・・く私を治療・・・・・・・・しろ。さすれば・・・すぐ・・・にでもあのテンカ・・・・ワアキトと魔女・・・・を討って見せよ・・・う。」
今度ははっきりと南雲に語りかけた。静かな、しかし威圧するような物言い。南雲ににじみ寄ろうとする北辰の前に、シシオが立ち塞がる。
「シシオ。」
「・・・・。」
腰に挿した刀の柄に手を掛けたシシオを、南雲が押しとどめた。
「・・・貴様、見覚えがある。・・・・・・・・・コード002・α・・・だったか?」
「・・・・。」
「そうか・・・・・南雲。あの時お前にくれてやった・・・・おもちゃを未だに後生大事に取っておくとは、物・・・・持ちのいい男・・・・よ。」
そう言ってさらに北辰は一歩近づく。不敵な笑みを浮かべて。
「貴様のような失敗作は・・・・・・・・引っ込んでおれ。出来・・・・・・・損ないのA級ジャンパー・・・・崩れが。」
「・・・ひかえろ、北辰。」
「何を・・・・・居丈高に・・・・・喋っている南雲。・・・・・・・・・・・貴様はさっさと・・・・私の治療をすればいいのだ。乱・・・を再び起こせる。・・・・あの二人さえ排除・・・・しておけばそれは・・・・成功する。」
「乱ではない。革命だ。」
「言葉遊び・・・・の戯言に・・・・興味はない。・・・・早くしろ。今の・・・・私は気が・・・・短い。」
「・・・シシオ。」
「は。」
「そうだ、さっさと・・・・治療をすれ ば い い
音もなく――――――言葉を継げる前に、北辰の首と胴は離れていた。
北辰の顔は、笑みを浮かべたままであった。
「・・・腐っても草壁中将の元で戦った同士だ。手厚く葬ってやれ。」
「は。」
シシオは短く答えると、北辰の遺体を右肩に担ぎ上げ、切り落とされた首を左手で掴み、ブリッジから出て行く。
北辰の遺体を抱えて通路を歩くシシオ。
(・・・この男の狂気は、まだ使えた。いつか再び決起する気があるのならば、電子の妖精は最大の傷害になることは明白だ。この男にやらせれば、仮に失敗しても我々のあずかり知らぬ所。利用できるだけ利用しても良かった。)
暗闇の中、手探りで部屋の明かりをつける。
眼前には多くの同胞の遺体があった。それでも回収できたのはほんの一部だけだ。宇宙での戦闘では遺体を回収することも難しい。ましてや逃亡の身の上である。
霊安室に北辰の遺体を運び込むと、すぐさまブリッジに踵を返す。
シシオは途中シャワー室により、血で汚れた衣服を素早く着替えた。北辰という男の血を一刻でも早く洗い流しておきたかった。まるで、自分を侵食してくるようで。
それほどの威圧と狂気を、北辰は孕んでいた。それゆえに利用できたであろう、とシシオは考えたのだ。
(だが、あの方にはそれが出来ぬ。邪な手段は好まれない。草壁中将閣下ならば清濁あわせのみ、実行に移しただろう。中将閣下の唯一の誤算は、電子の妖精の存在であった。北辰.テンカワアキト、そんなものは端役に過ぎん。電子の妖精をこそ排除することが新たな革命を成功させるための絶対条件だったはず。)
ブリッジの前で、シシオはしばし立ち尽くした。
(しかし・・・。)
僅かの間の後、中に入る。
「シシオ、ご苦労だった。」
「シシオ」
「“あれ”が、イネス.フレサンジュの確保に失敗したそうだな。」
「・・・・ああ。」
「あの程度の任務に失敗するものなど、もはや利用価値はない。廃棄する。」
「・・・ならば俺が譲り受けよう。」
「あのろくな跳躍も出来ん失敗作をか?貴様も随分物好きな男だな、南雲。」
「いらぬのなら構うまい?」
「・・・好きにしろ。但し、私の目の前に近づけるな。」
「名は?」
「・・・・。」
「聞こえているか?名前を聞いている。」
「コード002−α、と呼ばれていた。」
「・・・そうか。」
「今日からお前はシシオだ。志を支える男。志支男だ。これからは私の部下として、私を、草壁中将を、われらの同胞を支えてくれ。」
「・・・・・・・・シシオ?」
「そうだ。」
「シシオ・・・・。俺の・・・名前・・・・・・・・・・。」
(多分、この人は甘すぎるのだろう。しかし、だからこそ・・・・。)
「シシオ。」
「はい。」
「調整はほぼ完了したらしい。出港するぞ。」
「はい。」
「シシオ。」
「は。」
「先程はすまないな。私をかばったのだろう。・・・ありがとう。」
「・・・いえ。」
(だからこそ、俺はこの方にこの命を殉ずる。)
「南雲様、通信です!!かんなづきの回線に強制介入してきています!!!」
「・・・連合か?宇宙軍か?どのみち・・・覚悟を決めねばならぬか・・・。」
「・・・・。」
再び刀の柄に手を掛けるシシオ。それは最後まで南雲への忠誠を貫く覚悟を表す行動だった。
しかし、そこに映し出されたのは、一人の女性だった。年の頃は20を少しこえたばかりか。
年齢に不相応な尊大な態度は、強烈極まりない自尊心のあらわれであった。
「どうも、はじめまして。火星の後継者の方々。」
「・・・誰だ、貴様は。」
「ふ・・・まあ、今回だけはその無礼な口振る舞いを大目に見ましょう。」
女は、不敵な笑みを浮かべる。わずかに髪をかきあげ、あえて間を取った。そこには明らに他人を見下す眼があった。
「私はシャロン.ウィードリン。よろしくお見知りおきを...。」