死神の奏でる鎮魂歌
夜の街に一陣の風が吹いた。
普通の人間が見れば、何気ない日常の風景である。あくまでも普通の人間が見れば、の話ではあるが。
風は町の中を颯爽と駆け抜けてゆく。何者にも目をくれず、ただひたすら目的地を目指して。
月が照らし出すその明かりの先には、一人の少年が映し出されていた。そう、彼こそは死神と呼ばれる存在である。
いつから死神であったのかなど、少年に知る由はなかった。
ただ、気がついたときには既に死神であり、自らの名すら知らぬまま、数多の魂を葬ってきた。
そこには何の感情もなく、ただそれをこなすだけ。彼は感情というものを知らなかった。
少年はいつもひとりだった。
自分と同じくらいの子供も、大人も数え切れぬほど葬ってきた。
中には命乞いをする者もいた。しかし、感情の知らない少年の前では無意味であり、少年は無情にもその手に持つ鎌を振り下ろしてきた。
ただ、それだけの行為のはずだった。
いつからであろう、自分の存在自体に疑問を持ち始めたのは。
自分は確かにその場に存在するはずだ。しかし、常人にその姿をみる術などあるはずはない。
見ることができるのは死者に近い者だけなのだ。自分は本当にこの場に存在しているのだろうか。
誰にも見られない、見られることのないのに、どうして自分の存在を証明できようか。
その日、彼に悲しみ、という感情が芽生え、彼は初めて涙を流した。
しかし、その感情が寂しさというものであることは、幼い少年にはまだ理解できなかった。
その日からどれほどの歳月が流れたのであろう。
死神に時間という概念など意味のないこと、少年は当の昔に気がついていた。その無限とも思われる時間の中、少年は常に一人だった。
そして、以前と変わらず幾多もの魂を狩ってきた。その目には一筋の涙を流しながら、しかし、少年はそれに気づくことはなかった。いや、できなかった。自らが壊れてしまわないように、彼は心を、感情を、そして、自らの意思さえ押し殺してしまっていたのだから・・・。
その出会いは唐突だった。いつものように漆黒の衣を翻し、闇夜を疾走していた。その日の仕事は一人の少女に死を告げることであった。
その場で殺すわけではない。死の一週間前にそれを告げるのも死神の仕事の一つだった。彼は、誰に教えられるまでもなくそのことを知っていた。
そして、少女のいる病院までやってきた。
《篠森 秋美》
病室のネームプレートにはそうかかれてあった。この世に実体を持たない彼は、病室の扉をすり抜けた。
そして彼女に死のみを告げて帰るつもりだった。
「やっと、来てくれたんだね。ずっと、ずっと、待ってたよ。あなたのことを・・・」
彼女は病室の入り口にいる彼をじっと見つめていた。別段驚いているわけでもなく、じっと見つめ続ける。
その瞳は、彼の思考回路をマヒさせるに十分であった。
「私を殺して」
彼女は確かにそう言った。それは、長年待ち続けていた恋人に会ったときのように・・・。
「何故そんな事を言うの?」
気がつけば、そんな事を口走っていた。今まで、どのような事があっても、決して必要のないことは話すことはなかった。
故に彼は自分自身の言葉に、そして少女の言葉に混乱していた。
「私には不思議な力があったの」
しばらくの間、二人の間を静寂が包んだ。そして、少年は誰に聞かれるまでもなく、静かに自らのことを話し始めた彼女の言葉に、いや、彼女自身に彼は釘付けになっていた。
「初めは皆喜んでくれた。たくさんの人が・・・。うれしかった。ただうれしくて、その力を毎日使っていた。使ってさえいれば、皆喜んでくれた。そのことがうれしくて・・・」
少女は淡々と語り続ける。
「初めに変わったのは両親だった。それをきっかけに、一人、また一人と私の前から姿を消した。
気がつけば私は一人になってた。いくら叫んでも、求めても、私は一人だった。他の何も怖くなかった。
けど、一人になることは耐えられなかった。でも、私の声は誰にも届かなかった」
開け放たれた窓から月明かりが少女を照らし出す。
「やがて私は倒れて病院へ運ばれたの。
きっと誰かが来てくれると思った。もう一人でいなくてもいいんだって、そう思った。
けど、誰も来てくれなかった。絶望の淵に叩き落されたみたいだった。死にたかった。
けど、私にはそんな勇気はなくて・・・。そんな時だった。あなたを偶然見かけたのは」
カッと少年の目が見開かれた。確かに少年は以前、この病院を訪れたことがあった。
そして、確かにこの少女を目撃していたのだ。病院の窓から、月明かりに照らされながら幻想的に自分を見つめるこの少女に。
「あなたなら私を、この悲しみの牢獄から解き放ってくれると思った。その日からずっと待ってたの、あなたの事を。もう一人は嫌なの、耐えられないの!
お願い、お願いだから私を殺して、もう一人にしないで・・・」
少女は静かに涙を流した。彼は、その姿を見ていられなくなり、その日は静かに姿を消した。
少年は一人考えていた。何故あの場から逃げてしまったのか。その答えはわからなかった。
しかし、心の中でその理由を理解していて、認めたいと思っている自分がいることに、彼はひどく混乱した。
認めると自分が壊れてしまう気がして、自分が自分でいられなくなる気がして、彼は認めることができなかった。
彼は思考を無理やり止めると、意識を強制的に排除した。
その日から少年と少女の一週間が始まった。
少年は気がつくと毎日少女に会いに行っていたし、少女も少年を拒むことはなかった。
病院を抜け出して遊びまわったり、夜、眠ることも忘れて語り明かしたり・・・。やりたいことは尽きなかった。
時間はいくらあっても足りなかった。常に一人だった二人にとって、打ち解けあうことに時間は必要なかった。
そして、二人は、一緒にいるときだけ全てを忘れることができた。周囲のことも、過去も、そして、これからのことも。
(このまま時が止まればいいのに・・・)
その日、少年は初めて自分の使命を呪った。
彼女に死を告げてから七日目。彼は初日と同じように夜の街を疾走していた。考えたいことは沢山あったが、それをしてしまうと自分が正気を保てる自信がなかった。
自らの使命を忘れ、逃げてしまうかもしれなかった。故に彼は、自分の思考を強制的に排除していた。そう、以前の自分のように。
病室の中へ入る。すると、彼女は初日と同じようにベットから上体を起こし、少年をじっと見つめていた。
どれだけの時間そうしていたのかはわからない。少なくとも二人には、何分にも、何時間にも感じることができた。
「お願いだ、死にたくないって、一言だけでいいから言ってくれ。そうすれば僕は・・・」
「人はいずれ死ぬの。私の場合、それが少し早かっただけの話。あなたの使命と同じように、変えられない運命。けど、思い出して、この一週間の日々を。この運命は何者かに仕組まれたものなのかもしれない。けど、この思い出だけは、この思いだけは私たちの手で掴んだ大切な宝物だから。私も、人の温もりを思い出すことができた。あなたとの大切な思い出ができた。だから、せめてこの暖かな気持ちのまま、私を殺して。この世でもっとも愛しい、あなたの手で・・・」
少年はその手に鎌を出現させた。その鎌は、今までで一番重たく少年の心にのしかかってきた。
「初めて出合ったとき、僕と君は同じだと思った。人の温もりを求めて、自分が一人でないことを証明したくて・・・。けど、認めてしまったら自分が自分でいられなくなるような気がした。感情を手にしてしまったらこの使命の重みに耐えられなくなるしかもしれないと思った。けど、止めることができなかった」
鎌を両手に握りなおす。
「君のおかげで僕は一人じゃないと思えた。あの、意味もなく悲しい世界に別れを告げることができた。君との思い出だけは消えない、どんなことだって乗り越えてゆけるから、だから・・・」
静かに少年は鎌を振り上げる。
「死ぬことは終わりじゃなく、始まりなの。私たちのこれからはここから始まる。ほんの少しお別れするだけだから、さよならはいわないよ?」
「ああ。僕だってまだ君とやりたいことはたくさんある。話したいことだって、言ってないことだってたくさん、ほんとにたくさん・・・。次は一週間なんかじゃすまさないから」
少年も、そして少女も穏やかな笑みを浮かべる。
両者にはもうお互いのことしか見えていなかった。そして、そのとき、二人の心は一つになれた。
二人にもう言葉はいらなかった。少年は、その手に持つ鎌の重みをしっかりと感じながら、ゆっくりと振り下ろす。
『また、会おう。月の照らす、この思い出の地で』
病室に一陣の風が吹いた。
あとがき(のようなもの)
前作のオリジナルも完成してないのにオリジナル第二段をお送りしました。
というのも、この作品は本来は大学のゼミ用に製作した作品であって、HPでは掲載する予定ではなかったのです。
しかし、作ったのにそのままにしておくのはもったいない、ということで急遽手を加えなおしたというわけです。急遽といっても手を加えなおしたのは数ヶ月してからですが・・・。
もしよければ感想ください。今後に活かしていきたいので・・・。
ではまた次回会いましょう〜